コダワリ

世界の三大宗教と言われている一つに「仏教」が在ります。

  1. キリスト教
  2. イスラム教
  3. 仏教

どんな宗教も始まりは新興宗教だったと言われています。現代の新興宗教にはカルトっぽい危ないのが少なくありません。

カルトってなんでしょうか。

「NEVERまとめ」サイトによると

「カルト」の特徴
・指導者に対する崇拝
・欺瞞
・金融面および性的な利用
・絶対的組織の真理や道徳観

などと、記述されています。

日本で知られた組織をあげて見ると、きっとアナタが知っている組織もあるでしょう。

  1. 創価学会
  2. 幸福の科学
  3. 世界基督教統一神霊協会
  4. アーレフ(オウム真理教の改名団体)
  5. パーフェクトリバティ教団
  6. サイエントロジー
  7. エホバの証人
  8. 天理教
  9. 成長の家
  10. 霊友会
  11. 法の華三法行
  12. ライフスペース
  13. クリシュナ意識国際協会
  14. 世界真光文明教団
  15. 法輪功
  16. ホームオブハート

人によっては上記の団体の中にはカルト教団、とは信じられない、という事があるかも知れません。

「思想信条の自由」が言われている現代では「指導者に対する崇拝」「絶対的な心理や道徳観」という理念を組織から押し付けられていたとしてもそれを信じている人に文句は言えません。

しかし「欺瞞」「金融面及び性的な利用」という行為は非難されて当然だと思います。人を騙してお金をむしり取ったり、セックスを供用.強要させるなどは論外です。しかしマインドコントロールされた人は平気でそうした行為にハマってしまいます。気をつけたいと思います。

気を付ける、の「気」が非常に大事なのですが、肝心の「気持ち」が病んでいる人は上記のような「欺瞞」「金銭的強要.性の供用」に気づきません。気づかない心の中に付け入るのがカルト教団のうまい所なのです。

困った事に新興宗教の場合、信心している証は新しい人を仲間に入れる、布教にあるといわれているのです。信者を増やす事がその組織の理念を信じている証、とされているからです。

こうした事はカルト教団だけではありません。キリスト教や仏教にもそうした考え方は合った、と言われているのです。

特にキリスト教徒は未開のジャングルの奥地まで行って命の危険を顧みず、キリスト教を教えに行ったと言われているほどです。

ジャングルの奥地に棲んでいたいハダカの住人に衣服を着させたのがキリスト教徒だったとも言われるくらいなのです。未開のジャングルの中でどう暮らそうと自由だと思うのですが、ハダカでいる事が恥ずかしい事だと言う教えが一つの「コダワリ」なのです。

日本では10人に一人はこれらカルト教団の一員になっている、とも言われています。過去にオウム真理教という世間を騒がしたカルト教団がありました。

しかし、似たような宗教団体が名前を変えて存在しています。

オウム真理教に限らず「統一教会」のようにマインドコントロールで結婚を強制されても当然のような意識になってしまうところにカルト教団の怖い所があるのです。

世間を騒がし、殺人罪などで死刑にされたオウム真理教の事を語ると、私達はそうした団体とは違うと、必ず言います。同じだという組織があるはずもありませんが。単純な比較をしてはいけないのです。

日本最大のカルト教団に、自称827万世帯という組織になっているのが「創価学会」という組織が在ります。ここでは「創価学会」が具体的にどうか、という事には触れません。

しかし、あの忌まわしい戦前の日本国では神国日本思想に反するとして「カルト教団」として`弾圧`されていた組織だったという事実があるのです。

そんな組織が現代では選挙になると現代の国を動かしている自民党の手足になって活動していると言われています。

あの忌まわしい国、ニッポンとはどういう国だったでのしょうか?。

このブログのタイトルにあるように、コダワリの際たる「神の国ニッポン」という考え方でした。

全体主義がどうとか、国家主義がどう、という以前の問題ではなかったかと思います。

神の国ニッポンでは「欲しがりません、勝つまでは」という国家主義が当たり前の時代でした。

そんなの嫌だよ、と言う人でも国家主義って何よ、という人は少なくありません。

国家主義という思想が分らなくなるところに思想信条の自由という理念の危うさがある、とも言われています。

かつて「イデオロギー」にこだわるな、という言い方がありました。「イデオロギー」とは「思想信条の自由」の裏返しでうまれた「俺には俺の主義がある」という思想を否定的にとらえた考え方でした。

国の方針には黙って従え、と思っている人たちの考え方でもありました。つまり、俺のイデオロギーに従え、という主義でもあったでしょうか。

人は歴史に学ばない、とも言われています。戦前にあった悲惨な事が忌まわしく思われていない、という事に在ります。

最大の悲惨な出来事にヒロシマ、ナガサキへの原爆投下、無差別大量兵器の爆撃が在りました。

ヒロシマ、ナガサキ、と二つの地名があるように爆撃機から落とされた爆弾もたった二つ、の兵器でした。たった2個の爆弾で24万人が亡くなりました。その後5年でさらに10万人近くの人が原爆病で亡くなったと言われています。

原爆の投下は公けには戦争を終わらせるため、といわれていますが、違うタイプの原爆の投下実験に使われたというのが歴史の真実だと言われています。その事がほとんど知られていません。

国と国との戦争には正義も悪義もありません。どちらも正義を主張しているからです。

正義とはアメリカではチカラの事だそうです。力のある国がチカラのない国をどんなに痛めつけても正義なのです。

アメリカの戦争の歴史はそうした事がほとんどでした。その最たるのがベトナム戦争でした。

あの限られた地域での戦闘でアメリカの国力が疲弊した、と言われたほどです。第二次大戦時に費やした軍事費の2倍以上が使われたとも言われています。

貨幣相場が1ドル360円の時代に変動相場制という概念が持ち込まれたのもそのせいだと考えられています。

現在の円とドルの相場110円という貨幣価値がアメリカの国力の衰えを表していると思います。

日本が強くなったのではありません。アメリカの死の商人たちのもうけ過ぎがアメリカのチカラを小さくしてしまったのです。

つまりアメリカの死の商人たちが国の財産を食いつぶしたのです。

宗教はどんな宗派でも「コダワリ」の塊りです。唯我独尊、自分達が一番正し、と考えているのが宗教団体なのです。

中近東、の戦争は宗教戦争とも言われています。違う言い方で言えば「拘り」同士の争いなのです。

「人は幸せになるために産まれてきました」という名言があります。

どこかの支配者、権力者の為に生きているのではありません。

たった一度の人生をどう生きるかは本人の自由だとは言え、思わぬ生き方をさせられてしまうのが「思想」「信教」なのだと思います。

私は自由に生きているつもり、でいて、も、いつの間にか自分の意思とは関係なく操作された意識になって自由に生きていない事があるのです。

改めて「思想信条の自由」という事を考えたいと思います。

あなたはホントに自由に生きていますか?

日記は書くな!

ブログは、日記調にするな、と言われます。

名が知られている芸能人が書いたブログだとキーワードなど気にしなくてもアクセスはあると言われています。

有名タレント、俳優など芸能人が「アレをしました、これを見ました、」などの日記が気になるミーハー達は多いのです。

アカの他人である、フツーの人の生活に興味のある人はいないのです。

アナタは芸能ではないのです。

芸能ミーハーという、ミーハーとは「話題、の人気な事だとどんなことでも気にしてくれる、ミーちゃんハーちゃん(昔は若い子女に多かったのでミーちゃん、ハーちゃん)という人たちを例えた言葉です。

プロテニスプレイヤーの「大阪なおみ」が優勝して話題になると、帰国してきたのを見るためにわざわざ空港まで出かけて行く奇特な人達のようなのをミーハーと言います。

有名な人になればどんな事をしても人が集まります。どんな事を書いてもブログ記事が読んでもらえるような事なのです。

それを勘違いしたフツーの人がアレをしました。ここに行きましたと言うような事を書いて公開してしまっているのです。

人の気を惹きつけるのは大変です。

それでも、パソコンのキーボードを叩くのが苦手ではない人は、記事を書き続けましょう。

個人,法人のブログの数は五万とあるので、砂漠の中の砂粒のようなモノです。

五万あるブログではあっても、時代に合った、キーワードなどをタイトルにして、そのキーワードを意識して文章を書きつづけていれば必ず、アクセスが、来るようになる、という意見が在ります。

検索していると、そうなんだ、と思える記事、サイトが見つかります。

自己満足のブログでいいと思ってはいても、長く書き続けているうちにアクセスが来る、誰かに読んで欲しいという思いになる、と言われています。

インターネットの世界では、コンテンツ(ブログの中身)に検索している人が期待している情報がないとワンクリックで自分のブログから離れてしまいます。

せっかく訪れてくれた人は、あの銀河の星空の中から望遠鏡で見つけ出してくれたようなモノなのです。

そんな貴重な人に「ん?」と思わせる内容がかかれていないとワンクリックで離れてしまう、という事です。

アナタのブログに訪れてくれた人の知りたい事、興味をそそる事が書かれていれば、もしかしたら、お気に入りマークや「いいね」ボタンを押してもらえるかも知れません。

ネットサーファーという人の中には特に知りたい事がない人もいるのです、だから気をひく、という事も大事なのです。

「ブログ」に限らず「タイトル」「ネーミング」は重要です。

単なる調味料メーカーが「味の素」と名乗るようなセンスが必要です。

いくら「タイトル」を工夫しても肝心の記事の中に検索した人の関心事が含まれていないと「クローラー」というロボットがいつの間にか検索順位をぐーんと下げ人の目には留まらなくしてしまうと言われています。

ブログ記事の中身がタイトルのキーワードと関係ないものだと訪れた人が、ワンクリックで離れてしまう現象をロボットは観ているのです。

見てもらえない、ブログサイトより見て貰った方がいい、とは言え、アクセスがあっても本文を読んでもらえなければ苦労してブログを書いた意味がありません

自分のブログが他人に読まれるという事は簡単ではありません。

アクセスが集まりやすいキーワードを拾う努力をして、書き続けていれていれば、文章力が上がり、アクセスはいつか来る、と信じるしかないのです。

誰が、何を調べたいのか、何を知りたいのか、どんな用語、語句で検索をしているのか、という気持ち続けて書いていきましょう。

 

灰の不思議

「灰の不思議」

有機物など、ものを燃やすと大抵のものは灰になります。

その灰の中に微量要素と言われている、いろいろなミネラルが含まれています。極めて微量だから微量要素と呼ばれているのですが…。

化学的にそれらの成分を分析する技術が発達しています。

数々のミネラルも微量なるがゆえに分析数値として現れない成分がある事を裏付ける事に釉薬原料にした時に、規定の色とは違う発色をする事があります。

木や花や草など植物はもちろん、魚や鳥、昆虫や爬虫類、動物や人間などの哺乳類も燃やせば骨と灰になり、骨も高温で焼くと灰だけが残ります。これらの灰はすべて釉薬の原料になるのです。無機物でも火山灰、石灰など文字どおり灰とつけば釉薬の原料になります。

どんな灰でもその成分には微妙な違いがあります。その成分の違いは釉薬の色の違いや溶ける温度の違いとなってあらわれます。

植物の灰は、木灰、草灰、わら灰、笹灰、もみ灰の順に溶けにくくなる性質があります。そのうち、木灰は、草灰は草色、わらは白っぽく、笹やもみは黄色みを帯びた色になる傾向があります。

しかし、釉薬以外の成分や、焼き物の土、焼き方によっても違いが出るので単純ではありません。さらに同じ植物の灰でも成長のどの段階か、どんな土壌に育ったかによってもその成分が違うことで釉薬にした時、発色が違ってきます。

熊本のいぐさの灰を、釉薬にしたら、茶色に発色しました。

いぐさは水生植物なのでわらと似ているので白っぽい色になると思われますが

雲仙の火山灰を釉薬にして試して見ると、いぐさの発色、茶色に近い色になりました。

《いぐさは雲仙岳の火山灰地で作られている》ことを教えてくれました。

灰は昔は、畑の肥料や火鉢の灰に利用されたり、あく抜きに使われたり人間生活に重宝されていました。

ワラビやゼンマイを木灰であく抜きすると美しい深緑になります。木灰の釉薬が緑色になる原理と同じなのです。木灰のあくは草木染めにも利用され、自然な発色を助けると言われています。

近年は灰は貴重品でなかなか手に入りにくくなっています。

自然の灰ではなく、人工的に色々な成分を調合した、合成木灰、合成わら灰、合成栗皮灰というのが造られています。

しかし、合成灰は自然の灰とは微妙な色の味わいが違うと言われています。

健康長寿教訓解説(1.くよくよ

泉重千代氏の健康長寿訓「万事くよくよしないがいい」

くよくよする、というのは人の心、精神状態、気持ちの事ですが。

健康法の教訓の筆頭は心の状態を表す言葉です。「くよくよ」とは思い煩うという意味も在ります。患うとも書きます。

病気という文字にある「気」の持ちようが大事、という事です。

病気とはある意味「気」が病むという事でもあると考えられます。

「くよくよ」と言う語は「くよ」、と「くよ「」を重ねて「くよくよ」となっています。

こうした同じ語句を繰り返す言葉の事を「オノマトペ」というそうです。

「オノマトペ」とは元々はフランス語だそうですが、日本語でいう所の「擬音語、擬声語、擬態語」のひとつ、だと「大辞林」では説明しています。

状態や心情など、音のしないものを音によって表す言葉だそうです。

「ツンツン」「デレデレ」「ニヤニヤ」なども「擬態語」に属する語句だそうです。

、「デジタル大辞泉」によると「くよくよ」とは「いつまでも、気にかけてあれこれと、思い悩むさま」となっています。

いずれにしても「気にかける」の「気」の事にこの教訓が着目している所が大事だと思います。

日本語には「気」という語句のつく用語はけっこうあります。

例えば、「気にかかる」「気が思い」「気になる」とか、「気心」「気負う」「気丈」というのが在ります。さらに、「意気」「嫌気」「気性」などもありますね。

日本人が「気」の事を「気」にかけて作ったたと思われる用語が無数にあります。

日本では動物、植物を問わず、生き物にはすべて「気」がある、と信じられていますが、気の持ちようの「気」とは若干違うかもしれません。

でも人の「気持ち」に似たような「意思」が万物にある、という考え方とも思います。

それらの事を要約した言葉を教訓にしたのが「万事くよくよしない」ではないかと思います。

「weblio類語辞典」では次のような言葉に置き換えの例があるとしています。

「くよくよしない」の類語

「サッパリとした、淡白な、さばさばした、屈託がない、悩みのない、楽天的な、小事にこだわらない、物事に囚われない、大らかさ、前向きな、プラス思考の、からっとした、あっさりした、さばけた、うじうじしない、前向きな…」

いずれにしても、いろいろある健康法の中にあって普段の「気」の持ちよう、が大事なのだという事を指しているのだと思います。

「くよくよしない」を10訓の筆頭に挙げているくらいですから・・・。

「お前、長生きするよ」という言い方は「バカ!と言っているのと同じだとも言われますが、物事に囚われない、おおらかな性格である事を指しているように思います。

人に「バカ」と言われるのは気になりますが、うじうじしない性格であるのはいい事ではないかと思います。

「泣いて生きても一生」

笑って生きるのも一生「」なのですから。

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健康長寿 教訓解説(2.誰とでも

「誰とでも話す笑い合う」

笑い合おうというのは、いろいろ神経をつかって、ストレスを抱えこんでいるより、とにかく身体にいい、という事ではないでしょうか?

「ストレス」はウイルス.病原菌より人の生体を不調、不健康にする、健康に悪いとも言われています。

理屈と関係なく、笑えるとか、箸が転がってもおかしい、という、なぜかおかしいという事もありますが…。

自分以外の人と話をする事が健康にいい、という事ではないでしょうか?。

アイツとは付き合いたくない、と思われないよう、に生きたいと思います。

「笑い」の画像検索結果←Google検索画像より

同じ笑いでも、人に笑われるのは嫌だと言われます。「人に笑われる」時の笑いはホントの「笑い」ではなく人に見下げられる、という例えですから、笑われたくないのが人情ではありますが…。

泉重千代氏の「長生10訓」の解説を綴っていますがいろいろ調べていると、泉重千代氏はほんとに120歳までお元気だったの?、という疑問があって、現在では「ギネス」での世界最高齢者記録から削除されているそうです。

だからと言って、氏の書き残した「長生10訓」が否定されたとは思えません。

あるお医者さんは「年寄りはどこか具合が悪いのが正常」と言っています。

年齢が70、80過ぎていても病気を治すためと称した手術を勧める医者がいます。治る確率が低くても、治る方にかけたい人の心情は分ります。でも治療手当をしたから必ず治るというモノではありません。治る保証をしてはいません。それが現代の医療なのです。

くどいようですが、病気が治るのは親や、ご先祖様から頂いた身体に備わっている「自然治癒力」のおかげなのです。

「薬石効無く」ご臨終というのがあるのが「命」なのです。

予防接種_高齢男性←著作権フリー画像集より

「医者は神ではない」と言われています。

自然の、命を活かすシステムの中には、病気を治すチカラ、病気にならない、かかりにくいチカラというのもあります。その事を「自然治癒力」「免疫力」と東洋医学では言っています。

しかしそうした「自然治癒力」とか「免疫力」を現代の西洋医学は無視しようとしています。

生体臓器移植などの手術の時「免疫抑制剤」というのを注射する(うつ)事があるそうです。

病原菌を防ぐ場合や、身体にとって、異物、危険なモノが生身の身体に入って来た時に作用すると言われているのが「免疫力」なのです。

例え、生きた臓器であっても他人の臓器は異物ととらえるのが生体なのだと言われています。

その異物を排除しようとする反応を抑える「免疫抑制剤」は現代医学の「臓器」移植がなぜあるのかを考えさせられます。

生(なま)の臓器を移植する時に、免疫力の中にある「異物排除機能」が働いてしまっては)手術する意味が無いので困るようです。

手術は成功しました、○○症を併発して死亡しました。と言う例はあまりマスメディアでは報道されませんがかなりあるそうです。

医者に手術された人が死んでしまえば合法的「殺人」なのです。

医者には他人にメス(刃物)をあて、傷をつけるるのは医療行為としてみとめられています。傷害や殺人行為にはならないのです。

しかし例え、殺すつもりが無かったとしても医者が手術をする前は生きているのが普通なのです。

手術が成功したなら、病気は治っているはずなのに、手術後に死亡してしまうのは手術そのものに問題があると思います。

しかも病気が治らずに死んでも治療費というのが遺族に請求されるのです

治療費ではなく「手術にかっかった技術費用」と言うべきです。

人が死亡した時どういう死に方だと「大往生」と言えるのでしょうか?

「大往生」とは「生まれてきてよかった」「生きて来て良かった」と思いながら死ぬ事だというのは、作詞家「永六輔」氏の考え方です。

「自分の命を誰にゆだねようと自分の勝手だ」と言う人は、いるかも知れません。

 

そんな人は、どうぞご勝手に・・・。 大きなお世話でした。

病院の手術は生身の身体にとてつもないストレスを加える事だと言われています。

大病を患ったとしても「患い」も自然が授けた事、運命と思いましょう。

病院での「闘病」ではなく、自分の中にある自然治癒力を高める、いろいろな手当てを信じ、普段から活かしていきたいと思います。

病に倒れるのも、自然の定め、治る治らないも、自然の采配、人間のチカラではどうにもならない事が多いのです。違う言い方をすれば「運命」という事ですが…。地震、台風などと同じで、自然の法則、宇宙のチカラ、神のチカラには逆らえません。

どんな大富豪でも寿命をコントロール出来ません。命には、いえ、物には寿命というのが必ずあって、限りがあるのです。

死んだ後、天国で永遠の命を授かる、らしいですが誰にも判りません。死んだ後お骨以外に何も残らない、のはあまりにも寂しい事ですが、それが現実です。

「健康と寿命はお天道様次第…」のお天道様は「キリスト」や「アラー」や「仏陀」の事ではない思います。それでも「神のチカラ」は存在するのです。

 

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健康長寿 教訓解説(7.笑う

誰とでも話す笑い合う

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「笑う門には福来る」・・・。

「誰とでも話す、笑い合う」という教訓には「笑う門には福が来る」と言う諺と共通の意味が在るよです。

「笑い」の効用については諸説あります。おかしいから笑う、というより、笑うからおかしいのだ、という考え方もあります。「笑い」には人の心をわだかまりの無い、朗らかにする要素があると言われていますので。

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健康 長寿 教訓解説(9.お天道様

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健康はお天道様のおかげ

近年は天地自然の出来事を「お天道様」と呼ぶ事は無いかも知れません。「お天道様」の事を現代的にはどう呼べば理解してもらいやすいのでしょうか?

自然は自然、宇宙は宇宙、そのまんまでいい。「お天道様」と言い換える必要がないのでしょうか?。

そのまんま、の話し言葉のほうが伝わりやすいという事なのかも知れません・・・。ヘタな言い換えをすると伝えたい事が伝わらないという、誤解を招く恐れすらあるのだとか。

言葉は自分が言いたい思いを伝える音声です。相手に伝わらない事にはする意味がありません。

さて本題の「お天道様」とは、

最近はテレビなどで気象予報事に自然現象の様々を伝える事が多いので、お天道様の都合、は自然現象と片付けているかも知れません。夏場のゲリラ豪雨の様な雨の降り方が豪雪時に線路を塞ぐほどになって雪国の電車を立ち往生させてしまう事もありました。

北陸地方などではその豪雪が車を長時間立ち往生させ、自衛隊を出動させたくらいの現象もありました。それを自然災害として、人智の及ばざるを仕方のない事としているようです。そのような自然現象には対処の備えが出来無いのかも知れません。

現代は自然現象への警戒より、人間生活、経済活動の方が優先されてしまう傾向があるのも立ち往生事件を起こしている要因の一つになっているように思います。

不要不急の外出は控えるように…という気象庁などの呼びかけがあっても、みんな用があるのです。その用が`要`なのかは当事者、の都合によるのでどうにもなりません。なんせ現代は個人には自由な行動が認められている時代ですから…。

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話が逸れてしまいました。お天道様ののハナシでした。自然現象には人知の及ばない事が多い。科学が進歩、発達した現代でも「地震.雷.火事.オヤジ」の親父は恐れられなくなっていても、東日本大震災の様な大災害には対応出来ていません。

「災害は忘れたころにやって来る」という格言通りの事が起きてしまいました。あの東日本大震災後に流行った言葉に「想定外」というのが在ります。忘れたころにやって来る災害であったとしても、想定外の規模だった、のであの災害には備えられなかったと言われています。

防波堤、の造り、とか鎮守の森とかが過去の災害の経験例から学び活かされていない、とも言われています。

「樹を植えよ」とは「宮脇昭」氏の主張です。

一本の木が二本で「林」に三本植えると「森」になる、という、シャレともともとれる主張には過去のいろいろなな教訓が含まれています。「樹を植えよ」という主張が個人的意見ではないのに無視されるか軽視されている傾向があるのが残念に思います。(一部の自治体には、災害後に氏の考え方による防波堤を造ったところがあるそうですが…)

「木 林 森画像」の画像検索結果←グーグル検索画像

食事の前に唱える挨拶の言葉に「いただきます」というのが在ります。主食のお米はもちろん野菜や肉魚など食品のすべてに命が宿っていたモノとして、その命を戴いている事に感謝の念をこめた言葉だと言われています。

「いただきます」とは命を戴く事だという考え方なのです。

キリスト教の世界では食事の前の挨拶は神様への感謝の祈りだ、と言われています。

動植物に宿っている命の事を「神」に置き換えてみると「いただきます」は神様への感謝、とも言えるのかも知れません。しかし、キリスト教での神様はイエス.キリストとかの特定の偶像(1神)への感謝であって、天地自然への感謝ではないように思われます。

この世は仮の世であって永遠の命を戴くあの世とは違うという考え方によると、この世では神の使いとしての人間が一番優れた存在という事を聞いた事があります。だから自然現象などを神の使いである人がコントロールする事に何の異論もない、のです。

つまり「1神」への恐れはあっても、自然を征服(破壊、開発)する事には何の異論もないように思われるのです。敬虔なクリスチャンには自然現象には素直に従い、質素に暮らすのがいいと言う考え方、があるそうですが、そういう宗派は多くはないようです。

自然征服主義はキリスト教に支配された西洋文化が招いた大罪だとも言われています。そうした時代にあって、自然の事をお天道様、と呼ぶ事はあり得ない無い事なのかも知れません。だって何よりも唯一の神様(キリスト様)が偉いのですから…。

ロケットが宇宙へ飛び出し、人の命の誕生の元である「妊娠」にも医者の裁量が大きくかかわる時代では、科学と神の領域には相いれない関係にあるのでは、と言われています。

とは言え、有能な科学者は、いろいろな研究を極めていくと1神教ではない「神」の存在はあるのではないかと、思う事、現象がいっぱいあると言っています。

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「神」の采配ともいえる事のひとつに、人や、生き物が持つ機能に「自然治癒力」というのが在ります。どういう事かと言うと、医者が手術をする時メスという刃物で人体を切り開く事があります。その開いた後の皮膚は近年は医療用のホチキスのようなモノでつなぎ合わせるそうです。「縫合」とか呼ぶそうですが。

その縫合後の皮膚が元のようにくっつくのは人体そのものに再生力があって、自らのチカラで行っています。医療、医者が行う事は皮膚と皮膚をくっつけてやる事だけなのであって、細胞組織が元のようにつながり合う事は人体そのものが行っているのです。つまり、治るのは本人の身体がしたのであって、医療はそのお手伝いをしたに過ぎないのです。しかし医者が治したかのような錯覚をもっている現代人が多いのです。

人体に備わった再生、回復力が発揮されるまで動かないよう、固定するなどの作業が医療行為なのであって、皮膚組織などの再生回復そのものは人体そのものがやっているのです。医者が「くっ付け!」と命令しているからくっつくのではないのです。

そうした事は生体移植と呼ばれている心臓や肝臓などの移植でも同じ事なのです。車の部品交換のように、ボルトナットを緩めて締め直して終わり、修理完了にはならないのです。

「手術は成功しました」しかし、死亡しました。というのがあります。

一般には医者は出来る限りの事をした、だから仕方がないのだと思う人が多いのです。

少なくとも手術をする前、直前までは生きていたという事実はあるのです。(心肺停止した人の緊急救急手術の場合は別ですが・・・)

「医療行為」の中には慢性的病気の治療法と緊急救急外科治療法とでは考え方が違う事が多いそうです。その一つに「余命」・・・判断があると言われています。

「余命」とは文字どおり、この後どのくらい持つ、命か(息をしていられるか…)を判断する事です。

慢性的な病状の時でも医者の「余命」宣言より長く生きていたという事例はけっこうあるそうです。

しかし、緊急救急医療の場合、放っておけば間違いなく(100%)死亡する事が分かっている状態…「心肺停止」など、での判断には「余命」という考え方はないのです。

生体臓器移植にしても緊急外科治療にしても現代の医療行為で出来るだけの事をしたとしても、元気な姿に回復するかどうかは本人のもっている自然治癒力、回復力に頼るしかない、だと思います。

「運命画像」の画像検索結果←グーグル検索画像

そうした事を運命などと呼ぶ事もありますが、そのさい配は「神様」のチカラよるものだと考える事に「健康はお天道様のおかげ」という考え方があるのだと思います。

世界一の権力を持っていたと言われていた「秦の始皇帝」でも`不老不死`の薬は見つけられなかった、と言われています。

生物に不老不死はないのです。それでも現代の医療には「人の死」は医学の敗北のような錯覚がある、と言われています。

人死ぬ時期には早い、遅いがありますが、その時期を決めるのは「自然、天、宇宙」のチカラがなせる業なのではないかと思えるのです。

特定の自殺者を除けば自ら進んで死ぬ事を望む人はいません。

元フジテレビの有名女子アナウンサーの有賀さつきさん(52歳)の死亡などはそのいい例だと思います。お父さんが83歳とかでお元気な姿でマスコミの取材に答えていたのが印象的です。

よく「親より先に逝く親不孝」と言われますが、その格言によれば有賀さつきさんは余程の親不孝者、という事になります。

しかし本人が親不孝をしたかったワケでは無いと思います。なぜか、そうなってしまったという事なのだと思います。

なぜか?分からないからこそ「薬石効なく」という言葉があるのだとも思えます。「闘病」とか「医療」とは何なのかを考えさせられます。それが「運命」とは思いたくありませんが。

まさに`健康はお天道様のおかげ`なのだと思わされます。

生物科学者は`生命を活かすシステム(法則)についてもっと謙虚になって考えるべきだと思います。

ある医者が医者は神ではない」と宣言している言葉を目にした事があります。

「神」のチカラ、法則は存在している、という事を意識された謙虚な方の言葉だと思われます。

「時間投資思考」

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健康長寿 教訓解説(8.とし…

「歳は忘れて考えない」

「勿忘草Google検索画像」の画像検索結果←Google検索画像{勿忘草}。

泉重千代氏の「長生訓」の8項目にある言葉です。

「歳は忘れて考えない」・・・

人は齢(よわい)を重ねてくると、ついつい歳だから、、、と自分が高齢であるために衰えつつある体力、気力の事を弁解する傾向があります。

そうした事を戒めるというか「歳はとっても気は若い」という意識を持つことを長生訓としてすすめているのではないかと思います。

この事はこの「長生訓」の冒頭項目にある「万事くよくよしない」と同じように人の気持ち、心理、精神面の在りようが健康管理には大切だという事を表していると思います。

「想い、思う」事は人間だから出来る頭脳の働きだと考えられます。植物やペットなどにもそうした「気持ち」の「気」が在るのではないかと言われています。

しかし、人間と同じような言語を持たないために具体的なその時々の感情、や気持ち、を表す事はしません、出来ません。出来るのは人間だけ、なのです。

医学的には健康管理の`要`は、栄養と運動だと言われています。新生物学で言われている所に「気.血.動」の「気」の部分が大事だという事を唱えない傾向があります。

近年は病院の中にも「心療内科」というのがあって「心療」・・・心の在りようの大事さが分って来ては、いるようです。

冒頭で紹介した「・・・は考えない」の部分は心の在りように関わる言葉だと思います。

日本語には気持ち、心持などの精神面に関する言葉がかなりあります。先ず頻繁に使われている言葉のひとつに「気持ち」と言うのが在ります。その「気」が付いた言葉を調べて見ましょう。

「気」から始まる言葉には「気合い」「気力」「気心」「気質」「気炎」「気色」…など色々な言葉があります。

「勇気」「堅気」「のん気」「空気」などどちらにしても、肉眼では見えない事、現象、心持、の事を表す事が普通です。

それらの中で「空気」を読む、という言葉には「雰囲気」の「気」を感じるような意味合いがあると思います。つまり、見えない事柄を見る事を「読む」と言い現わしています。

ある学者が「見えないモノは無いのと同じような事だ」と断言しているのを聞いた事があります。

「星空」ではないですが「昼間の星はみえないけれど在るんだよ」という仏教の教えがあります。

「見えない」事は「無い事」とするのを「唯物史観」とも言うそうです。

「唯物論」「観念論」という哲学があります。哲学とは「モノの見方考え方」の事だと言われています。見えないモノ、見えない事は無い事、という考え方は唯物論でしょうか、観念論でしょうか?

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少し難しい理屈になってしまいますが、夜空の星明りは光が進む速さを基準にして、○○光年という言い方をしています。

人や動物、植物が受ける「光」は明るければすぐにいろいろな物を見せてくれています。しかし、夜空の「星」明りは○○光年と言われるようなはるかに遠い世界から届いた光なのです。つまり、光の速さであっても○○年もかかるほど気が遠くなるような距離の事を表しています。

角度を変えて言えば○○年もの過去の光、私達は見ているという事になります。「今」自分の目で見えているのに見えている光は「過去」の光、という難しい理屈になっているのです。

懐中電灯の明りは今の明り、光です。家の中の蛍光灯やLED.の明りも今の光、なのに星空の星の光は過去の光というなんだかややこしい、事になってしまいます。

○○光年という時の距離は時間の長さでもあります。「歳は忘れて考えない」という言葉の中にある「歳」とはこの○○光年という時間と共通する言葉のようにも思えます。

「現在、過去、未来」と続いていく時間の流れは誰にもとめられません。過去に戻る事も出来ません。未来を見る事も知る事も出来ません。出来るのは。予測する事だけです。

近年はコンピュータの発達でこうした予測はコンピュータ予測が圧倒的に多くなっているようですが、あくまでも予測、であって、そうなる、と確定した事ではありません。

そうした事の中に気象予測というのが在ります。地球規模での気象予測には地球を回っている多くの人工衛星から送られてくる観測資料が多く含まれているそうです、それらを基に過去の経験値も加えての予測になっています。

コンピュータは人が入力した膨大な情報を元にこうなればああなる、といった予測の連続です。予測という言葉通りに予めわかっている数値で測るという事でもあります。

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一方で人間の「勘」には数値では計れない、経験した事などから得られる「印象、ひらめき、思い付き」の様な事があります。

「歳は忘れて考えない」と言われるところの「歳」とは見えない事なのです。平均寿命の寿命とは多くの人間が生まれ落ちて死ぬまでの間の期間を総人口の数で平均化したものです。

平均とは生まれたばかりの人と100年も生きていた人の間を取った数値です。0と100という数字を足して人数の2という数字で割り、均した数字は50という値になります。平均というのはそのような事なのです。

寿命の計算値はそれほど単純ではないようですが、似たような事なのです。

50という数字の場合を例えにすると、たまたま50になっているだけで、平均値の50歳という数値の歳まで生きて居られる保証はありません。

事故死があったり、病死があるからです。

人は普通であれば自分の意思で死ぬ事はほとんどありません。なのに平均寿命の「歳」になる以前に死ぬ事があるのです。

例え、運よく、平均寿命をはるかに超えた年齢まで生きられたとしても、ずっと生きて居られるわけでもないのです。

人が死ぬまでの寿命、生物学的寿命は80プラスマイナス15というかなりアバウト、適当な数字なのだそうです。

つまり人の寿命は分らないのです。分からない事を、分からないとハッキリは言わない傾向があるのが現代の医学です。

「歳」の事は誰にも判らない事なので、分からない事を想い煩うより、考えない方がいい、というのが「泉重千代氏の120歳長生訓」の中にある「歳は忘れて考えない」という事なのではないかと考えられます。

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火遊び…火が燃える理屈(1.

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薪や炭などに火が点く、には次にあげる三つの条件がバランスよく揃っているとよく燃えると言われています。

1.)可燃物…。燃える物。

 燃えるモノには色々あります。大きく分けると自然系  と化石系の2種類があると思います。木材の、炭、木綿の布といった自然系有機物、有機物系の可燃物とは普通には「薪」と呼ばれている木のことですがよく乾燥している、と言事が必須です。濡れた新聞紙に火が点かないのは誰でも分かる事ですが、木材がよく乾燥しているかどうかに気を付けない人はけっこういるのですよ。

そしてペットボトルや化学繊維といった石油精製品と言われている化石系でしょうか。化石系には塊り、固体以外に液体、気体もあります。

2.) 酸素…。空気。

火が燃える事を化学的には酸化反応と言うそうです。物が燃える時 にこの酸 素が少ないと良く燃えないと言われています。化石系には 液体 と気体がありますが、気体と言われるガスに引火する事を火が付き、燃 える とも言いますね。

 薪ストーブの場合、最初に火を点ける時に「焚きつけ」と言 われ ている物は化学的には酸化反応しやすい物という事なんですね。
新聞紙とか枯葉や細い薄い竹などは燃えやすいので酸化反応しやすいモノという事になります。薄いペラペラ状になっているとガス化しやすい、という事でしょうか?

酸化反応しやすいモノ(火が点きやすいモノ)には揮発性があると言われているガソリンなどは液体そのもの に火が点くのではなくガソリンから出ている( 揮発している)ガス が酸素、空気に触れる事と高熱が加わる事で燃え上がるという理屈なんですね。

 台所での天ぷら油火災での油に火が点いている場合は油が燃えている のではなく、油が加熱され過ぎたために油から湯気のような燃えやすいガスが 発生しそのガスに火が点いているのでず。

鍋にフタをする事で火を 消す事ができますが
どうして火が消えるのでしょうか?

燃えるガス、空気、熱の三つのうち、空気がなければ火は燃えないという3 原則のひとつ、空気を遮ると火がうまく燃えなくなるのです。ナベにフタをする事で油から出たガスが空気に触れないようにする事で火 が収 まるという理屈なようで す。

3.) 熱源…。熱エネルギー。

ガスに火を点けるには一定の熱を加えないと燃焼、は起きないと言われています。つまり常温では火は点かないという事なのです。近年は台所のガスレンジや、使い捨てのガスライターなどのガスに火を点ける時に「チチチチチチ…」と音を立てるあの火花、電子式の火花で火を点けているのがほとんどだと思い ます。

熱源が無いと火は点かないという理屈でいえばあの電子音から産まれているあの小さい火花でもかなり高い温度だという事なんですね。

<まとめ>

火がよく燃えるのに3原則というのがあって「1.燃える物、2.空気、3.(火だね)」がうまく揃っている必要がある。

逆に言えばうまく燃えない時は上記のいずれかの具合が悪い、と考えると原因が分 かりやすくなる、という事になるでしょう。

焚きつけ、火の燃やし初めの時には良く乾いた枯れ草、枯れ小枝、紙、灯油…..などを使い分ける必要があります。 

●空気の送り方を工夫する…。炭に火を移す場合は炭に火が点かないうちは空気はあまり送らない方がいい…焚きつけ材の火と熱で「炭」を加熱して「炭」の内部からガスを出すため風で熱を分散しないためです。

●熱源としての火種には、マッチ、ガスライター、火打石…などがあります。

 火がうまく燃えていない時は煙が多く出ます。「薫製」造りの時はチップなどの素材が燃えないように函のなかに空気が入らない工夫をする必要があります。空気が少ない と「煙」が良く出ます。モノが燃える時の3原則のひとつ、空気があまり無い状 態を造るという事をしているので煙が出ます、その煙で燻すのを燻製づくりと言っているのですね。

 

 

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火遊び、ブリキ缶・ガス化(5.

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ロケットストーブのような原理に「ウッドガスストーブ」「TLUD.ストーブ」というのがあります。火遊びフアンにはそちらも魅力のある燃焼原理です。

火が燃える時には燃える対象物(木材.竹など)に高い熱が加わる事で可燃性のガス(気体)が発生します。このガスが熱によってさらに酸化していく反応が燃焼、つまり、炎になって火が燃え上がるという理屈だそうです。

可燃性の物質をガス化(気体)させるためにはその木質(木.竹.草.葉・・・)により高い熱が加わるような環境(火の通り道を囲って断熱するなどの)を整えてやればやるほど激しく燃え上がるようです。

例「粘土とかレンガなどで火熱を囲い燃焼後の排気を煙突から排出する」

物理的に燃焼したガス(一酸化炭素)は高温になるほど強い上昇気流になるという事をドラフト現象と言うようですが、高い熱気が上に昇るチカラを強くするという事のようです。

この時にも一定の(円筒.煙突などで)その上昇気流の高音が維持されるように断熱されている構造になっているほど上昇気流もさらに強力になる、という原理があるようです。

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薪暖房は石油ストーブより暖かいとよく言われます。

しかし、エアコンなどのようにスイッチonという手軽さはありません。そしてそ燃料にする乾燥した大量の薪の入手はマニアでないと苦労のタネです。

現代社会は富裕層と非富裕層の二極化した社会になりはじめていると言われています。

そうした富裕層ならよく乾燥させた薪を高級な金属製薪ストーブで使えるのだと思います。

屋外でのレジャー目的だけなら煮炊きするにはストーブでは無く、コンロです。コンロだと強力な火が熾きればいいのであって、高額な金属製ストーブのような造りである必要はないでしょう。

高級な金属製の薪ストーブと言えば、日本で使われている金属製のほとんどが鋳物という金属で出来ています。金属ではあっても「鋳物」という性質上急激な高い熱変化には弱い所があるそうです。高級ストーブのデメリットは構造の問題ではなく、金属の性質に問題があるそうです。

そのような事も在って薪ストーブ先進国のドイツ国では「鋳物」ではなく、鋼鉄製の薪ストーブが主流になっているそうです。

鋼鉄という性質の金属の造りなので「鋳物」製金属より燃焼熱に丈夫な造りなのだそうです。そして、肝心の燃料は薪の準備に労力のいる硬い広葉樹ではなく、柔らかい針葉樹でも少量燃やすだけで充分な熱量が得られる造りになっているそうです。

近年の家屋の造りが断熱性が良くなった事も「薪ストーブ」の性質の変化につながっている、と言われています。

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この地域などでは高額な金属製ではない構造の5.000円足らずの薄い金属のブリキ製薪ストーブで屋内暖房を普通に間に合わせているお家がいくつかあります。

高級な薪ストーブは火のつけ方、薪の投入量などに制約が多すぎて使いまわしがめんどうだそうです。なのでブリキ製でも充分に屋内暖房力が在るので高級ストーブが在る家でもそうしたブリキ製ストーブを新たに設置して間に合わせているそうです。

安いブリキ製だと薪燃焼の高熱による金属劣化があります。ですから、数年に一度本体の取り替えが必要になるようです。それでも初期費用が(5.000円前後…)買い換える資金が少なくて済むというメリットの方が大きいという事情もあるようです。

そうした背景には薪ストーブが燃焼排熱にいくらムダが在ったとしても、近くの山林で手に入る薪になるブナとかナラなどの樹木が簡単に安く手に入るという事情も在るからだと思います。

安いとは言っても薪材であるブナやナラなどの樹を伐採したり丸太伐り、薪割り、積み込み乾燥などにはかなりの重労働が伴います。

そうした作業があっても薪暖房の暖かさを重んじる趣味人には重労働には感じていないようです。

マニアでは無くてもゆらゆら揺れる薪が燃える時の「炎」の魅力には捨てがたいモノが在ります。「キャンプファイヤー」お正月の「どんど焼き」などにはそうした人間の「炎」への憧れのような感覚があるからだとも考えられます。

 

                       火遊び…解説ページお終い。

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