世界の三大宗教と言われている一つに「仏教」が在ります。
- キリスト教
- イスラム教
- 仏教
どんな宗教も始まりは新興宗教だったと言われています。現代の新興宗教にはカルトっぽい危ないのが少なくありません。
カルトってなんでしょうか。
「NEVERまとめ」サイトによると
「カルト」の特徴
・指導者に対する崇拝
・欺瞞
・金融面および性的な利用
・絶対的組織の真理や道徳観
などと、記述されています。
日本で知られた組織をあげて見ると、きっとアナタが知っている組織もあるでしょう。
- 創価学会
- 幸福の科学
- 世界基督教統一神霊協会
- アーレフ(オウム真理教の改名団体)
- パーフェクトリバティ教団
- サイエントロジー
- エホバの証人
- 天理教
- 成長の家
- 霊友会
- 法の華三法行
- ライフスペース
- クリシュナ意識国際協会
- 世界真光文明教団
- 法輪功
- ホームオブハート
人によっては上記の団体の中にはカルト教団、とは信じられない、という事があるかも知れません。
「思想信条の自由」が言われている現代では「指導者に対する崇拝」「絶対的な心理や道徳観」という理念を組織から押し付けられていたとしてもそれを信じている人に文句は言えません。
しかし「欺瞞」「金融面及び性的な利用」という行為は非難されて当然だと思います。人を騙してお金をむしり取ったり、セックスを供用.強要させるなどは論外です。しかしマインドコントロールされた人は平気でそうした行為にハマってしまいます。気をつけたいと思います。
気を付ける、の「気」が非常に大事なのですが、肝心の「気持ち」が病んでいる人は上記のような「欺瞞」「金銭的強要.性の供用」に気づきません。気づかない心の中に付け入るのがカルト教団のうまい所なのです。
困った事に新興宗教の場合、信心している証は新しい人を仲間に入れる、布教にあるといわれているのです。信者を増やす事がその組織の理念を信じている証、とされているからです。
こうした事はカルト教団だけではありません。キリスト教や仏教にもそうした考え方は合った、と言われているのです。
特にキリスト教徒は未開のジャングルの奥地まで行って命の危険を顧みず、キリスト教を教えに行ったと言われているほどです。
ジャングルの奥地に棲んでいたいハダカの住人に衣服を着させたのがキリスト教徒だったとも言われるくらいなのです。未開のジャングルの中でどう暮らそうと自由だと思うのですが、ハダカでいる事が恥ずかしい事だと言う教えが一つの「コダワリ」なのです。
日本では10人に一人はこれらカルト教団の一員になっている、とも言われています。過去にオウム真理教という世間を騒がしたカルト教団がありました。
しかし、似たような宗教団体が名前を変えて存在しています。
オウム真理教に限らず「統一教会」のようにマインドコントロールで結婚を強制されても当然のような意識になってしまうところにカルト教団の怖い所があるのです。
世間を騒がし、殺人罪などで死刑にされたオウム真理教の事を語ると、私達はそうした団体とは違うと、必ず言います。同じだという組織があるはずもありませんが。単純な比較をしてはいけないのです。
日本最大のカルト教団に、自称827万世帯という組織になっているのが「創価学会」という組織が在ります。ここでは「創価学会」が具体的にどうか、という事には触れません。
しかし、あの忌まわしい戦前の日本国では神国日本思想に反するとして「カルト教団」として`
弾圧`
されていた組織だったという事実があるのです。
そんな組織が現代では選挙になると現代の国を動かしている自民党の手足になって活動していると言われています。
あの忌まわしい国、ニッポンとはどういう国だったでのしょうか?。
このブログのタイトルにあるように、コダワリの際たる「神の国ニッポン」という考え方でした。
全体主義がどうとか、国家主義がどう、という以前の問題ではなかったかと思います。
神の国ニッポンでは「欲しがりません、勝つまでは」という国家主義が当たり前の時代でした。
そんなの嫌だよ、と言う人でも国家主義って何よ、という人は少なくありません。
国家主義という思想が分らなくなるところに思想信条の自由という理念の危うさがある、とも言われています。
かつて「イデオロギー」にこだわるな、という言い方がありました。「イデオロギー」とは「思想信条の自由」の裏返しでうまれた「俺には俺の主義がある」という思想を否定的にとらえた考え方でした。
国の方針には黙って従え、と思っている人たちの考え方でもありました。つまり、俺のイデオロギーに従え、という主義でもあったでしょうか。
人は歴史に学ばない、とも言われています。戦前にあった悲惨な事が忌まわしく思われていない、という事に在ります。
最大の悲惨な出来事にヒロシマ、ナガサキへの原爆投下、無差別大量兵器の爆撃が在りました。
ヒロシマ、ナガサキ、と二つの地名があるように爆撃機から落とされた爆弾もたった二つ、の兵器でした。たった2個の爆弾で24万人が亡くなりました。その後5年でさらに10万人近くの人が原爆病で亡くなったと言われています。
原爆の投下は公けには戦争を終わらせるため、といわれていますが、違うタイプの原爆の投下実験に使われたというのが歴史の真実だと言われています。その事がほとんど知られていません。
国と国との戦争には正義も悪義もありません。どちらも正義を主張しているからです。
正義とはアメリカではチカラの事だそうです。力のある国がチカラのない国をどんなに痛めつけても正義なのです。
アメリカの戦争の歴史はそうした事がほとんどでした。その最たるのがベトナム戦争でした。
あの限られた地域での戦闘でアメリカの国力が疲弊した、と言われたほどです。第二次大戦時に費やした軍事費の2倍以上が使われたとも言われています。
貨幣相場が1ドル360円の時代に変動相場制という概念が持ち込まれたのもそのせいだと考えられています。
現在の円とドルの相場110円という貨幣価値がアメリカの国力の衰えを表していると思います。
日本が強くなったのではありません。アメリカの死の商人たちのもうけ過ぎがアメリカのチカラを小さくしてしまったのです。
つまりアメリカの死の商人たちが国の財産を食いつぶしたのです。
宗教はどんな宗派でも「コダワリ」の塊りです。唯我独尊、自分達が一番正し、と考えているのが宗教団体なのです。
中近東、の戦争は宗教戦争とも言われています。違う言い方で言えば「拘り」同士の争いなのです。
「人は幸せになるために産まれてきました」という名言があります。
どこかの支配者、権力者の為に生きているのではありません。
たった一度の人生をどう生きるかは本人の自由だとは言え、思わぬ生き方をさせられてしまうのが「思想」「信教」なのだと思います。
私は自由に生きているつもり、でいて、も、いつの間にか自分の意思とは関係なく操作された意識になって自由に生きていない事があるのです。
改めて「思想信条の自由」という事を考えたいと思います。
あなたはホントに自由に生きていますか?