健康長寿教訓解説(1.くよくよ

泉重千代氏の健康長寿訓「万事くよくよしないがいい」

くよくよする、というのは人の心、精神状態、気持ちの事ですが。

健康法の教訓の筆頭は心の状態を表す言葉です。「くよくよ」とは思い煩うという意味も在ります。患うとも書きます。

病気という文字にある「気」の持ちようが大事、という事です。

病気とはある意味「気」が病むという事でもあると考えられます。

「くよくよ」と言う語は「くよ」、と「くよ「」を重ねて「くよくよ」となっています。

こうした同じ語句を繰り返す言葉の事を「オノマトペ」というそうです。

「オノマトペ」とは元々はフランス語だそうですが、日本語でいう所の「擬音語、擬声語、擬態語」のひとつ、だと「大辞林」では説明しています。

状態や心情など、音のしないものを音によって表す言葉だそうです。

「ツンツン」「デレデレ」「ニヤニヤ」なども「擬態語」に属する語句だそうです。

、「デジタル大辞泉」によると「くよくよ」とは「いつまでも、気にかけてあれこれと、思い悩むさま」となっています。

いずれにしても「気にかける」の「気」の事にこの教訓が着目している所が大事だと思います。

日本語には「気」という語句のつく用語はけっこうあります。

例えば、「気にかかる」「気が思い」「気になる」とか、「気心」「気負う」「気丈」というのが在ります。さらに、「意気」「嫌気」「気性」などもありますね。

日本人が「気」の事を「気」にかけて作ったたと思われる用語が無数にあります。

日本では動物、植物を問わず、生き物にはすべて「気」がある、と信じられていますが、気の持ちようの「気」とは若干違うかもしれません。

でも人の「気持ち」に似たような「意思」が万物にある、という考え方とも思います。

それらの事を要約した言葉を教訓にしたのが「万事くよくよしない」ではないかと思います。

「weblio類語辞典」では次のような言葉に置き換えの例があるとしています。

「くよくよしない」の類語

「サッパリとした、淡白な、さばさばした、屈託がない、悩みのない、楽天的な、小事にこだわらない、物事に囚われない、大らかさ、前向きな、プラス思考の、からっとした、あっさりした、さばけた、うじうじしない、前向きな…」

いずれにしても、いろいろある健康法の中にあって普段の「気」の持ちよう、が大事なのだという事を指しているのだと思います。

「くよくよしない」を10訓の筆頭に挙げているくらいですから・・・。

「お前、長生きするよ」という言い方は「バカ!と言っているのと同じだとも言われますが、物事に囚われない、おおらかな性格である事を指しているように思います。

人に「バカ」と言われるのは気になりますが、うじうじしない性格であるのはいい事ではないかと思います。

「泣いて生きても一生」

笑って生きるのも一生「」なのですから。

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健康長寿 教訓解説(7.笑う

誰とでも話す笑い合う

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「笑う門には福来る」・・・。

「誰とでも話す、笑い合う」という教訓には「笑う門には福が来る」と言う諺と共通の意味が在るよです。

「笑い」の効用については諸説あります。おかしいから笑う、というより、笑うからおかしいのだ、という考え方もあります。「笑い」には人の心をわだかまりの無い、朗らかにする要素があると言われていますので。

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↑元気だば 長寿教訓解説・6)散歩

健康長寿の「長生訓」 自分の足で、散歩に出よう」

健康のために歩きましょう、とはよく言われている事です。

人は自分の足で歩けるから動物と言えるのだと思います。寝たきりの人で食事もろくに出来ない人の事を植物人間.と呼んだりします。現代の医療が産んだ延命処置のせいでもありますが。

何らかの事故で自分の足で歩く事が出来なくなった場合は別ですが、病気のせいで歩けなくなった人の大半は他人に車椅子を押してもらう事が多いと思われます。

つまり、自分の足で歩けない、いわゆる介護された状態の人が多いと思います。

日本では年齢が40歳になると「介護保険」と言う名の税金を支払わされます。国民皆保険という考え方の「国民健康保険」と似たような制度です。

介護の必要な人を健康な国民みんなで支え合おうという趣旨の制度だそうです。

「介護保険」金を払っているのだから介護を受けられる身体になりましょう、という人はいないと思います。それでも保険があるから病院にかかる、と言う考え方はあるようです。

「自分の足で散歩に出よう」とは、歩く運動は老人になっても「介護」されずに済む、つまり健常者でいられる秘訣の一つなのだという事です。

「死ぬ事を忘れた日本人」などと言われるくらいに超高齢社会になった時代です。「日本ってお年寄りの国だったんですねぇ・・・」というCM.があったりました。それくらいに年寄りが多い、社会になっているという事ですね。

長く生きてはいても健康でなければ人生はつまらないものだと思います。

「いや違う!少しでも息をしているだけで身内にとっては意味がある、と言う主張もあるそうですが、本音でしょうか?

人が介護を受けながら生きながらえている事をとやかく言うつもりは全くありません。ありませんが、どうせ生きていられるなら、健康でありたい、と思うのは人情というモノです。

昔から言われている言葉に「ピンピンコロリ」と言うのがあります。

生きているうちはピンピンしていて、死ぬ時は長患いしないでコロリと逝きたいとの思いを例えて言った言葉です。

山形県にある通称「山寺」の山の中腹あたりに在る小さいお堂に「ピンピンコロリ」の願いが叶うという「ころり往生阿弥陀堂」と言うのがあります。

なんでも「コロリ往生阿弥陀如来様」のご利益があるのだとか…。

いつごろの建立なのか分かりませんが昔も今も人が往生する頃の想いは一緒だったようです。それが人間の本音なんでしょうね。

老いて衰え、長患いしたとしても天寿を全うさせてあげたい・・・との想いは建前なのです。人も老いたら枯れていく植物と同じように静かに息を引き取って行くものです。胃婁だ点滴だと余計な事を医療がしています。

現代の介護施設はむかしの姥捨て山なのです。そんな姥捨て山には居たくない、という年寄りのために在宅介護という言葉もあるようです。在宅介護は身内に介護と言う大きな労力を強いる事にもなっているのに…。

身内の介護を否定する事は人の道に反する考え方なのかも知れません。どうせなら生きているうちは元気でいて欲しいのです。

在宅介護の問題は超高齢社会とにあっては年寄りが年寄りの面倒を見るという現実があるのです。

自身が介護を受けてもおかしくない年齢になって、実の親でもない、連れ合いの父親.母親の介護を強いられているお嫁さんの例も少なくないそうです。

ムゲに「姥捨て山」的「介護施設」には入れられないという建前もあります。しかも「介護施設」へ入れるには厳しい「介護認定」制度があって簡単には施設に入れないという事情がある事での在宅介護になっている、と言う問題もあるようです。

現代の健常者には自分の人生の末期を身内に負担をかけて過ごしたくないという本音の想いが圧倒的に多いと言われているのに…

介護施設で19人もの大量殺人事件が在ってから1年以上経っています。

どう考えて見ても極悪非道の大量殺人に違いはないはずなのですが、「介護」を業としている人へのTV.ニュースインタビュー談話には意味深長な内容が含まれていました。

「殺された身内の方々には同情しますが、犯人の行為の良し悪しについては複雑な想いがあります」と、犯行を完全に否定する意見があったのが気になりました。

この事は障害者の身内もさることながら、障害者の介護を職業にしてはいても、本音の中には人が生きていく事の「意味」を考えさせられることが多いのではないかと思われます。

つまり「本音と建て前」の間に違いがありすぎる、という事ではないかと思えるのです。

社会はこの「本音と建て前」の違いがある事を多数の人々が承知したうえで成り立っているんですが…。

あの悪名高いドイツの国家指導者の「アドルフヒトラー」時代に行われたと言われている異人種(ユダヤ人など)全滅殺人計画「ホロコースト」での犠牲者は20万人とも言われています。

この「ホロコースト」が実施されていた時代に、同じような大量殺人が行われていたというのはあまり知られていません。

「T4」「14f13」作戦と言う文字.記号の意味を知っているでしょうか?

これには当時の非公式な国家的組織が関わっていたと言われています。

先ほど触れた昨年の障害者介護施設での大量殺人事件の犯人はこの「T4」という組織「14f13」計画などの「ヒトラー」の思想をカジっていたとも言われています。

これら「T4」組織とか「14f13」作戦は当時の法律に基づいた事では無かったとも言われています。「ヒトラー」はそうした行為を法律制定をして公けになる事を否定したと言われています。非公式ながらヒトラーの暗黙の了解があっての暗殺行為だったとも言われています。

先ほどから触れている「T4」とか「14f13」などの暗号には「障害者などを生きるに値しない」とか「慈悲殺」という勝手な価値観の非人道的な思想が含まれていたと言われています。

高度に発展したと言われている現代でも何故そうした行為に賛同する人がいるのでしょうか?

それは人間にはそうした非常に難しい「本音と建て前」の考え方があるからだと思います。

介護を必要とする障害者、要介護老人などの介護社会ならではの暴行事件などがあの相模原の施設以外でも時々起き続けています。介護を受けないと生活が出来ない人の中には「老惚け…認知症」の人もいます。

ボケているのに介護士の人を罵るようなことがしょっちゅうあるそうです。介護士といえど、人の子です。言われた言葉に、かっとなって暴行してしまう事があるのだとも言われています。

人生の終わり方の一つに「安楽死」と言うのが在ります。

「生きるに値しない」とか「慈悲」と言う理由として「安楽死」を認める権利が誰にあるのでしょか?

残念な事にそうした理由があると思われる本人にはそれを決める意思.能力が全くない場合がほとんどなのです。

仮に本人の意思があっての「安楽死」であっても法律的には「殺人」になってしまう事があるそうです。現代医療の抱えている「延命処置」などの治療法にはそうした問題もあると言われています。

「自分の足で散歩に出よう」は元気に生きている人のための健康法の一つなのです。

他にもあれをやるといい、これをするといい、というのがいっぱいあります。しかしそうした因果関係の真実はお医者さんでも判らない事だと思います。

「健康と寿命はお天道様」が決めている事だからです。

お医者さんが「薬石効無く」と言う時の後に来る「お迎え」はどこから来てどこへ逝くのでしょうか?

人いいという事をしたらみんなが健康長寿でいられるのなら死ぬ人などいないはずです。

現代日本では「死ぬ事を忘れた」と言われるほどにお年寄りが多いと言われています。 

でも健康長寿の人は言われているほど多くは無いのです。

あの、何でも世界一を認定している「ギネスの長寿記録」では120歳を超えた人はいない、と言われているのです。

ならばどんなどんな健康法も無駄あがき、なのではないかとも思えます。

しかし「人事を尽くして天命を待つ」という格言もあるのです。敵わない事であっても、人がいい、と信じた事はやり尽したほうが本人にとって「納得」のいく人生、人の道ではないかと思います。

「道半ばで倒れたっていいじゃない、自分で決めた道だもの」という言葉もあります。

「生涯現役」!!。倒れるまでは「自分の足で散歩に出よう」・・・。

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↑元気だば 長寿教訓解説(5.深呼吸

長生10訓。

泉重千代氏の長生訓の4番目は「目覚めたら深呼吸」です。

深呼吸の意味はよく知られた事なのですが毎日の生活リズムの中で意識してやる人は少ないようです。深呼吸の方法にはいろいろな考え方がありますが丹田呼吸法というのと共通したところも在るようです。

丹田呼吸法とは「座禅」修行時の呼吸法にも似ているようです。

`座禅`修行にも似ていています。
単なる呼吸法ではあるが1種の難行苦行のようにもみえます。

長生10訓でいうところの深呼吸はそうした考え方のものではないと思われます。
人は長い時間同じ姿勢でいると体全体の筋肉がこわ張る事があります。

学校の授業時間や「受講セミナー」などはそうした意味では30~40分くらいの時間が理想的だと言われています。

目覚めた時深呼吸とはそうした考え方の一つだと思われます。

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人の睡眠時間の長さはいろいろだと思いますが、普通には6~8時間だと言われています。

先ほど触れた30~40分に比べるとたいへん長い時間ほぼ同じような姿勢でいるという事になっています。
そういう意味ではそんな長い就寝時間に頻繁に寝返りを打つことが健康維持のためにはいいのではないかと思われます。

しかし、お行儀と言う意味では朝起きた時に枕の位置に脚が在る、というような寝相ではどうかという事はあると思いますが。

元気なお子さんほどそうした寝相の悪さがあるのはある意味、身体が元気な証拠なのかも知れません。
そのような寝相は普通の大人だと寝ている間はあまり変わりがないの場合が多いと思われます。

いくら横になっているとは言っても同じ体勢でいる事は全身の血流が緩やかになるなど就寝モードになっていると考えられます。

ペットとして飼われている犬や猫などは日がな一日寝ている事が多いようです。
その犬.猫が寝起きの時にはほとんど`伸びをしています。時には大あくびもしています。

あくびはある種の身体の緊張状態をほぐすために起きる現象ではないかと言われていますが定かではありません。
そうした`伸び`や `あくびの時は深呼吸が伴っていると考えられます。

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↑元気だば 長寿教訓解説(4.習慣

泉重千代さんの長生訓の四つ目に「やること決めて規則正しく」と言うのがあります。

シルバー川柳の「起きたけど寝るまで特に用もなし」と言うのが在るようにこの項目の意味するところはやる事の無いヒマ人が多いという事でもあると思います。

同じシルバー川柳に「希望なし目標なくて自由あり」と言うのもあります。

定年すぎのお勤めがない人達には「やること」の無い生活をしている人が少なくないようすを表しているようにも思える「川柳」だと思います。

全国組織に「シルバー人材センター」と言うのがあります。この組織の考え方に「高年齢者が働くことを通じて生きがいを得る」・・・というのがあります。

勤め先の会社での定年を過ぎ、一線の職場から離れたリタイア組の人達の事をシルバー世代としているのですが「働くことを通して」と詠われているように働いていない事での生き甲斐.働き甲斐の無い生活をしている人たちがいるという事のようです。

「希望なし目標無くて自由あり」と詠われているように毎日が希望や目標の無い暮らし方をしている人がいるという事なようです。

お勤めをしていない定年、年金世代の一日の時間の過ごし方がそんな「自由」だとは・・・。

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自由ってやる事の無い事を指す言葉では無いはずです。

自由ってなんなんでしょうか?やりたいことが山ほどある小生には希望も目標もない生活をしている人たちの気持ちはよく理解出来ません。

ハナシを泉重千代さんの長生訓に戻しましょう。

「やること決めて規則正しく」とは、歳をとるとやりたい事の無い人が多くなるという事なのでしょうか?。

良い生活習慣を身につけ規則正しく」暮らしましょうという事ですが、シルバー世代でなくてもそうした事は大事だと思います・・・。

動物の一日のサイクルには朝、陽が昇り夜には眠りにつくというのがあります。現代社会は秋の夜長という言葉もあるくらいに一年中夜更かしをしている人が多いそうです。

人類の経済活動自体も現代は24時間フルタイムで動いている時代です。

むかしは陽が暮れたら眠りにつくのが自然でした。暗闇の世界を動き回るのは危ない目に会う事が増えるからでもあります。

「明かり画像」の画像検索結果  「焚き火画像」の画像検索結果

火を熾す事を発見発明した人類の初期のころは夜の明りは焚き火しかなかったと考えられます。それがろうそくや行燈になり、今日では電力による照明が普通になっています。その電力を利用して作りだされた電池などが明りの元になっているのが普通になっています。

電気のチカラは照明だけではありませんね。スマホなどは電池で動いています。そのスマホを深夜まで操作しているために眠れないとか眠りが浅いという危うい生活を現代人はしていると言われています

生物の中には夜行性の動物もいるようですが多くは暗闇の中では活動しません。それが自然です。

そうした進化があっても、まったく変わっていないような壮大な宇宙の動きがあります。

太陽は永遠とも思えるような核融合という難しい原理で働いている強大なエネルギーを放散し続けています。

その周りを色々な惑星、衛星がグルグル繰り返し回転し続けているという事には変化のきざしも見えません。

そうした変わらない循環、回転にはある種の規則性があると言われています。

しかし規則性とは言っても単純な繰り返しではない所に宇宙の法則の微妙な流れがあるようです。規則的な回転に見えてもその回転はループ状、螺旋的な周り方だと言われています。

一年365日が経っても元の位置に戻ってはいないのです。4年に一度のうるう年、なんてのは人間の都合で考え出されてカレンダーなのであって、宇宙の営みは単純な同じ事の繰り返しでは無い事を教えてくれているのです。

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いくら長寿だと言っても、ギネス記録が示しているようにヒトの生物寿命には限りがあります。

そうした限りある人生でも出来れば健康でいたいと思います。健康長寿を続けるための秘訣の一つに、そうした生活リズムの規則性が大事だという事のようです。

毎日が同じ事の繰り返しのように思える規則性とはなんでしょうか?

稀に単純な規則性で成長しているのではない事を教えてくれる植物もあります。

その代表にタケノコがあります。ある種の竹がタケノコとして成長する時の生態に、一たび地表にタケノコが顔を出すと一日に一㍍とも言われるほど大きく成長をする時期があります。そのタケが持つ特性のある大きさに成長しきるとその伸び方にはほとんど変化が見られなくなります。

繰り返しのサイクルの中にあっても一気に変わる時とゆっくりとした変化を見せる時期があるという事でもあります。

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「一日は長く一年は矢の如し」と詠われるような、変化のない退屈な日々の繰り返しのように感じられていも振り返ってみると「矢の如く」スッと過ぎてしまったように感じられるのが人生です。

悠久の宇宙の時間の中では夜空に輝く様々な星屑たちもそうした産まれては消えていくという、システムの中にあると考えられます。

ある人が人生とは「今」の事である、と言っています。今日の今の瞬間は二度と元に戻す事の出来ない「間」なのです。それだけにこの瞬間を生きるという事を刹那に感じた人がいたようです。せつないねぇという時のような刹那かも知れません。

因みに「刹那」について

「刹那主義」と言う考え方では「一時的な快楽を求める考え方を刹那的な生き方」と言われ「今が良ければそれで良いという生き方」と言う意味に使われ悪い意味の言葉になっています。

本来は「刹那」とは仏教用語の一つで時間の最少単位の事だそうです。先ほど触れた瞬間の間のような時間感覚を指す言葉なのです。せつない、とはスッと過ぎていく一瞬の間のはかなさのような事とも言える言葉だと思います。

例え一時的で今が良ければという事であっても人の時間の過ごし方に文句を言う筋合いはありません。それこそ本人の自由ですから。

でも、よそ様に迷惑の及ぶ事、人が嫌がる行為まで自由でいいという権利は誰にもありません。

例え天皇陛下や総理大臣でも・・・。(70数年前まではこの国の天皇や総理大臣には赤紙一枚で国家に命を預けろという権利を持っていた時代がありましたが)

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「やること決めて規則正しく」という格言は、せっかくある自由な時間を上手に使う事が健康で長生きの秘訣ではありませんか、という事だと思います。

超の字が付くくらいの高齢社会ではあるが、その数にカウントされている高齢者には自分の意思では自由に動けない、生きられない「要介護」の人達がいっぱいいるのです。

「生涯現役」とか「生涯学習」という言葉もあるくらいです、身内に疎まれないように末永く現役でいたいと思います・・・。

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健康長寿「長生訓」解説

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健康10訓 目次

上記の10訓は泉重千代氏が存命当時、世界最高齢の人としてギネス記録認定されていたころに書いた格言と言われています。

泉重千代さんの世界最高齢記録については紙の生誕時期が江戸時代末期である事からその戸籍の表示事実には問題が少なくないとしています。

何でも世界一を認定している国際的機関「ギネス」は一度泉重千代さんの世界高齢記録者として一度認定した後、取り消されたそうです。

泉重千代さんの世界一記録に限らず歴史というのは過去の事です。記録されたその時代に生きていたという人が現代いるワケではありません。残っている資料を基にあれこれ詮索をし、証拠を並べるのは歴史家個人の考え方なのであって、どんなに信頼のおける個人の「説」であっても確かめるすべはないのです。

なので信憑性の高い説、定説という言い方があります。

という事で泉重千代氏の長生訓の中身の中にも異論もあるようです。

その異論の最たる格言は「健康はお天道様のおかげ」という格言です。現代医学を信奉している人には分らない理屈かも知れません。

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新生物学の立場では「お天道様」とは自然、宇宙の法則.システムの事を指しています。宇宙の法則とは、私たちが毎日繰り返し、太陽が東の空から昇り西の彼方へ沈んでいくようなる営みのようなことを指しています。決して神がかった考え方ではないのです。

おかげ、という言い方は「感謝」という言葉と同義の考え方でもあります。

いかに科学が進歩しても西の空から東の空方向に太陽が移動していくように見える事は無いのです。あるとしたらそれこそ神がかった感覚か、頭がイカレているのです。

もっとも太陽が東から西へ移動しているという言い方(天動説)そのものもホントは科学的ではありませんが…。

健康に限らず、人の寿命も人の想い、心がけだけではどうにもならない、事実があるのです。

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医学の言葉に「薬石効無く」と言うのがあります。民間薬も含めて医学的に良い、効くといわれている「薬石」が効かないで人が永遠の眠りに入る事が多いのは事実なのです。

人→医学には自然が支配しているチカラ以上の能力は無いのです。

医学者の使う「薬石」などには人が曳いている荷車の後ろを押してあげる程度のチカラしかありません。

それ以上の事は出来ないのです。荷車を轢いている人が倒れたら荷車は動きません。倒れた人の代わりに荷車を轢いてあげたい医者の良心があったとしても一度途絶えた命が復活する事は無いのです。

人の死は医学の敗北ではありません。

「死ぬ事を忘れた日本人」とも言われるくらいの超高齢社会になったとはいえ、ギネス記録(現在の認定記録では117歳)でも分かるように人は遠からず、必ず100%「逝って」しまいます。天皇陛下でも大統領様でも同じなのです。

そうした事は哀しい事です、非常に寂しい事でもあります。永遠の眠りがどういう事なのかは誰にも判りません。永遠の命の事をなんだかんだと言えるのは今、生きている人だけなのです。

どれ程の聖人君子でも逝った後はどうにもならないのです。人生は毎日、息をし、意識があるうちが「華」だと言う事だと思います。

そんなんでは寂しい、つまらないと思うから宗教のような「信心」があるのだと思います。「信心」「信仰」とは人が生きている時だけの心の依りどころなのかも知れません。

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死んだ後では本人は遺体→遺骨以外に残るモノは何も無いのです。残せる記録や業績が在ったとしても全て、過去のモノになるのです。「霊魂」が残ると信じていられるのは生きている時だけなのです。生き残っている遺族の人だけの想いなのだと思います。

人が生きている時の事を記録して残された業績が後に書き換えられる事があるそうです。それも生き残った人がする事、した事であって、死後の世界から本人が現世に蘇って書き換える事などありえないのです。

世界三大宗教の教主のひとりである、イエス.キリストは死後の世界から復活したという聖書の記録があるそうです。そうした記録にしてもキリスト本人が残したモノではありません。その弟子と言われた人達が書き残したものが「聖書」です。

仏教の教祖と言われている「仏陀」は無くなる前に自分の「葬式」はするな、という遺言を残していたそうです。現実はその遺言通りになっていません。遺言の意思すら顧みられていないのではないかと思えるほど「坊主丸儲け」と言われれるほどの「葬式仏教」になっているのが現実です。

キリストが死後の世界からの「復活」いたという記録が信じられる人は幸いだと思います。

そうした事が事実であったといくら宣伝されても、残念ながら、どうにも信じきれません。

 

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↑元気だば長寿教訓解説(3.お酒

「お酒は適量ゆっくりと」

泉重千代さんの長生訓の三番目にあるのがこの項目です。「お酒は適量ゆっくりと」。

人間にとっての自然の分類の仕方に「発酵」と「腐敗」がある、と言う考え方があります。その理屈でいうとお酒は「発酵」で出来た飲み物、という事になると思います。

発酵と腐敗というハナシの中に納豆の事があります。現代では納豆を食べる食文化は全国に広がってはいますが、もともとは関東地方の食文化だったそうです。

そんな納豆を始めて見た京都出身の方には腐った豆に見えたそうです。外人さんでも食べる事には抵抗がある人は少なくないようですが。私達には日常的に食べているのであの独特の匂いは気にならないのですが。

それでも人によってはそうした納豆の匂いは腐敗菌の匂いなのだと言います。

いずれにしても普通の感覚で言えば、腐敗、つまり腐ったモノを食べればお腹を壊すのは当たり前です。でも納豆を食べてお腹を壊した人がいる、というハナシは聞いた事がありません。どちらなんでしょうか?。

納豆も味噌.醤油などと同じような発酵食品の部類なのでしょう・・・。そうした発酵で出来上がった飲み物の中にお酒があります。

お酒というと、清酒、日本酒のように思う人もいるようですが、お酒=アルコール飲料というのが普通だと思います。そんなお酒には大きく分けて二つの種類があると言われています。その一つに蒸留酒があり、そして醸造酒という二つがあります。

この分類が分かる人は左利き、左党の「通」かも知れません。要するに酒飲みの中でも「通」と呼ばれている人ですね。

発酵の基本はどちらの種類でも同じ行程をとっているそうです。

穀物の中にある炭水化物、でんぷん質を水分でふやかして酵母、麹などを添加すると、炭水化物に含まれた糖分をエネルギーにしながらさらに炭水化物も分解する過程でアルコールが発生するという「発酵」という、自然のメカニズムが働きだすと言われています。

発酵時のある段階ではどんな穀物も(たとえ味噌、醤油でも)アルコール発酵が起きると言われています。

現代の日本ではまだ、個人の趣味であってもアルコール発酵を目的に「発酵」をさせてはならない事になっています。

「進め進め兵隊進め」と言う時代(明治クーデター政府の富国強兵政策の時代)以前には個人が家庭で仕込む「ドブロク」には何の問題も無かったそうです。

「ドブロク」発酵文化は日本が世界に誇れる食文化の一つだと思います。

しかしあの暗黒の時代(戦争をするための費用を酒税で増やそうと自家製ドブロクが禁止された)に作られた法律が現代まで残っているのです。個人が勝手に「ドブロク」を仕込む事は「密造酒」であり、違法なのです。

それが個人の趣味であってもアルコール発酵をさせる事自体が違法なのです。個人の趣味を国家が法律で禁止しているのは世界でも日本だけなのだそうです。

「お酒は適量ゆっくりと」と言われるお酒には世界に色々な種類があります。ワインなどは近年世界的にもポピュラーな飲み物になっていますが民族や地方の文化によってもいろいろなお酒が造られています。

いわゆる「薬酒」の部類になると数えきれないほどの種類があるようですが、「薬酒」になると必ずしも発酵を伴わないで作れることがあるのでホントの意味ではお酒では無いと小生は思っています。

例えば「梅酒」の場合は梅の焼酎漬けなのであって、発酵酒では無いのです。つまり発酵を伴わないからこそ、国税庁は合法としているのだと考えられます。

人類の歴史が始まって以来、人類はアルコールを呑む事で楽しく愉快な心持になるお酒の作り方を様々に発明してきたと言われています。

人がアルコールを飲む事は現世で元気な時に天国に行ったような気分になれる事だと言う人もいます。

「クスリ続けますか?人間やめますか?」などと呼ばれるほどの「中毒性」がお酒にはないからこそ規制される事はないのだと思います。そういう意味では個人の趣味の酒造りを国家が法律で規制するなんぞ、あまりにもセコイ感覚ではないかと思います。

でも「私はコレで会社クビになりましたという広告が在ったようにコレの飲み方一つで人生を狂わせる事もあるようです。心したいと思います。

なので「適量」を「ゆっくり」飲みなさいと言う格言があるのだと思います。しかし、好きな人はコレの「適量」を「ゆっくりと」飲む事がなかなか出来ません。

「お酒」は「現世ご利益」…生きているからこそ飲める楽しみの一つなのです。長生きのためとは言え、お酒の飲み方を制限しないといけないなんて困ったもんです。

もっとも酒は飲むな、との説はどこにもありません。お酒は「百薬の長」とも言われているのですから・・・。

 

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