↑元気だば 長寿教訓解説(2.腹八分目

<泉重千代120歳長生訓>

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腹八分目に医者いらずと言う諺があります。

「腹八分目か七分がいい」という泉重千代さんの長生訓はそんな諺通りの事を実行した事での 教訓なのだと思われます。

120歳まで元気でおられた泉重千代さんの10の長生訓の中で 飲食について触れているのは今日の この項目と次回に触れる予定の飲酒についての2点のみです。

世の中には色々な健康法があります。

飲食についての具体的な健康法にも色々なのがあります。 泉重千代さんの長生訓にはそうした飲食の具体例はありません。巷でよく言われる「玄米食」とか「水飲み健康法」とかの具体例がないのです。

あるのは、何それの飲食がいい、というのではなく、 その飲食の仕方についての教訓が在るだけなのです。 食べたい時に食べたいモノをお腹いっぱい食べる事は 幸せ感につながる事なのでその事を否定は出来ないのだと考えられます。

しかし生活習慣病の原因には偏った食事をお腹いっぱい 食べ続けている事が挙げられています。つまり「メタボ」は悪い食生活習慣からきている、という考え方なのです。

そこに「腹八分目」という健康訓に意味があるのだと思います。 「腹八分目」の食べ方については江戸時代にはすでに貝原益軒という人がも養生訓として発表されていたそうです。

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現代の超高齢社会は人々の日常の栄養状態が良くなっている事に原因があるのではないかとも言われています。

それでも、栄養を十分に摂る事と「腹八分目」とは別の事のようです。

美味しいモノを好きなだけ食べて良い、という事では無く、 八分目、という、ほどほどがいいという事なのです。

この飲食の、ほどほどが難しいのですが…。

大相撲の世界の人で長生きした人がいないのは 仕事柄体力をつけるためにお腹いっぱい食べる習慣を若い時に続けた事に原因があるのではないかと考えられているのです。

好きなモノを 好きなだけ食べても病気にならず、何の問題がない人はいます。しかし、そう言う人は例外だと 言われているのです。

食べ物の好き嫌いを言ってはいけません、という考え方もありますが、何がどういけないのかホントは お医者さんでも判ってはいないのです。

そうした個人の好き嫌いは体質ともつながりがあるので具体的に何が良くて何が悪いのかはお医者さんでも判ってはいないと思うのです。

これがいいとかあれが悪いとかのヘタな栄養学を信じているためにかえって健康を害している場合もあると言われています。

普通だと余程の事が無い限り好きなモノを食べ続けてもお天道様、ご先祖様が造った身体がこなしてくれるので問題はありません。

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でも、ほどほどに、というような養生はした方がいいのではないかと言うのが「腹八分目」なのではないかと思われます。

超高齢社会とは言っても健康長寿の人が多いのではないのです。寝たきり、要介護の高齢者も総人口の中に数えられているのです。

「運命」には敵なえないという考え方があります。

それでも「人事を尽くして天命を待つ」という出来る`努力`はするべきだと思います。残念ながら人の健康.長寿の運命がこの先どうなるかはプロの占い師であってもホントは分っていないのだと思います。

事が起きる前に分かるのなら無駄な事、危険な事は誰もしません。苦労しません。でも具体的な日時などは誰も分からないのです。

間違いなく訪れる最後の日がある事実はあるのにです。

人生の晩年に覚悟して生きる、とは最後の日がいつ来てもいい、と言う生き方なのですが・・・。

 

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↑元気だば長寿教訓解説(1-2.くよくよ

<泉重千代120歳長生訓>

  • 万事くよくよしないがよい

←「関川村の民芸特産品.ちぐら」

現代はグルメの時代と言われています。食べる事には全く不自由しない時代です。大平洋戦争とか第二次世界大戦とか言われていた戦争に負けた日本の戦後の悲惨さは当時を経験した人でなければ理解しにくいくらいのものだったそうです。

「欲しがりません勝つまでは…」と言われていた時代が急に終わったので「終戦」と呼んでいますが、勝ち負けで言えば戦争に負けたのだから「敗戦」なのに「終戦」と言い換えたところから戦後日本文化の混乱が始まったのではないかと思います。

「敗戦」か「終戦」は言葉のアヤではありません。時代認識を間違えさせる言葉なのです。太平洋戦争で敗れた日本国に乗り込んで来たアメリカ軍は占領軍なのです。

どう思おうと考えようと日本の国に土足で上がり込んだ占領軍なのです。それを誇り高い大和民族のお役人たちやインテリどもが「占領軍」の事を「進駐軍」とおだてた「進め進め兵隊進め」と日本国民を戦争に駆り立てた「輩」からの解放軍であるかのように言った言葉が「進駐軍」なのです。

戦後70数年も経って、そうした事を言う人は余程のアホか右翼ではないかと思われます。

あの忌まわしい「広島」「長崎」の`ピカドン`は戦争を終わらせるために落した爆弾、という事を主張する声があるようですが、事実は違います。

アメリカが「ベトナム戦争」でやったのと同じような市民無差別の皆殺しの爆弾でありそれぞれに違う種類の「核爆弾」だと言われています。つまり、核爆弾の爆発威力の実験に使われた爆弾に過ぎないのです。

「広島」「長崎」の核爆弾投下の前にすでに白旗をあげていた日本の提案を無視していたのはアメリカの「核爆弾」の開発の時期を待っていたからだと言われています。

いずれにしても戦争に負けた事で日本人は飢え死に寸前までに追い込まれた社会になってしまいました。なにしろ国土のすべてが焼き払われたのですから農家には作物が在りません。食べるものが無いのです。

前置きが長くなりました。

人が生きるために絶対必要なのは飲食です。

中国に「医食同源」という、食べる事の中に健康、病気を癒す力がある事を表した言葉があるそうです。そんな大事な「食」について、日本人で一番の長生き記録の方に「泉重千代」さんという人は「腹八分めか七分がよい」と食べ過ぎを戒めています。

そうした食の教訓より上、一番にあげているのが。「万事くよくよしないがよい」です。食べる事、食べ方も大事なのだがそれよりまず大事なのが気の持ちよう・・・元気の気だという事なのです。

気の持ちようとは、ある意味で物事に囚われない、拘らない、「くよくよしない」などと同じような意味に表現されています。

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新生物学というジャンルに「千島学説」というのが在ります。その中に「気血動」という言葉があります。

「気血動」でいう所の「気」とは「精神、こころ」の状態の事を表しています。

血とは文字通り血の事ですが   肉体と言う意味もあります。

「動」とは運動の動の事です。動く、活動するという事ですもありますね。

  そうした「気血動」のバランスが取れている事が健康で居られる条件だという考え方を「千島学説」では強調しています。

つまり、人が元気でいられるには、精神と肉体と運動の仕方に調和がとれている事が大事だという考え方なのです。

そうした考え方に立って、日常で起きる事柄・・・万事に、くよくよしない、という事は「細かい事にいちいち気を病むな」と言う教えにも通じる言葉だと思います。

「無」の境地などと言う言葉もありますが、日常の心持を「無」でいられる事はなかなか出来にくい事だと思います。

そうではあっても、あーだ、こーだの、こだわりを持たずに今、直面している物事に当たれ、対応しろ、集中しろ、という事なのかも知れません。

スポーツに「たら、れば」は無いとよく言われます。

しかし、これはスポーツに限った事ではないと思います。人生全般がそうだと思います。

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「たら、れば」とはあの時、こうだったら、こうすればよかった…と言う時の「たら、れば」のことを指しています。起きた事、済んでしまった事をとやかく言う事、思う事は止めましょうという時の「たら、れば」なのかも知れません。

「おまえ長生きするよ」と言われる人は、その人の心の持ちようというか考え方、に何のこだわりもない事を指しています。くよくよ、しない、何の「拘り、わだかまり」もない生き方をしている人が「長生き」するという事なのでしょうか。

自分にとって都合のいい事はよかったよかったと想えばいいのです。都合が悪かったら、ついていなかっただけなんだと、すぐに諦められる考え方が出来る事でもあるでしょうか?。

過ぎた事をとやかく言っても思っても仕方ありません。

今、出来る事を確かにこなしていく事が、次に繋がる事だと思います。

「くよくよしない」とはそうした心持を常に持っていなさいという事だと思います。

別に、長生きなんかしなくても、、、という人がいたとしても、現代は「超」と言う字が付くくらいの高齢長寿社会になっています。

どうせ長生きするなら、くよくよ悩まずに健康でいたいと思います。

  

    

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