健康 長寿 教訓解説(9.お天道様

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健康はお天道様のおかげ

近年は天地自然の出来事を「お天道様」と呼ぶ事は無いかも知れません。「お天道様」の事を現代的にはどう呼べば理解してもらいやすいのでしょうか?

自然は自然、宇宙は宇宙、そのまんまでいい。「お天道様」と言い換える必要がないのでしょうか?。

そのまんま、の話し言葉のほうが伝わりやすいという事なのかも知れません・・・。ヘタな言い換えをすると伝えたい事が伝わらないという、誤解を招く恐れすらあるのだとか。

言葉は自分が言いたい思いを伝える音声です。相手に伝わらない事にはする意味がありません。

さて本題の「お天道様」とは、

最近はテレビなどで気象予報事に自然現象の様々を伝える事が多いので、お天道様の都合、は自然現象と片付けているかも知れません。夏場のゲリラ豪雨の様な雨の降り方が豪雪時に線路を塞ぐほどになって雪国の電車を立ち往生させてしまう事もありました。

北陸地方などではその豪雪が車を長時間立ち往生させ、自衛隊を出動させたくらいの現象もありました。それを自然災害として、人智の及ばざるを仕方のない事としているようです。そのような自然現象には対処の備えが出来無いのかも知れません。

現代は自然現象への警戒より、人間生活、経済活動の方が優先されてしまう傾向があるのも立ち往生事件を起こしている要因の一つになっているように思います。

不要不急の外出は控えるように…という気象庁などの呼びかけがあっても、みんな用があるのです。その用が`要`なのかは当事者、の都合によるのでどうにもなりません。なんせ現代は個人には自由な行動が認められている時代ですから…。

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話が逸れてしまいました。お天道様ののハナシでした。自然現象には人知の及ばない事が多い。科学が進歩、発達した現代でも「地震.雷.火事.オヤジ」の親父は恐れられなくなっていても、東日本大震災の様な大災害には対応出来ていません。

「災害は忘れたころにやって来る」という格言通りの事が起きてしまいました。あの東日本大震災後に流行った言葉に「想定外」というのが在ります。忘れたころにやって来る災害であったとしても、想定外の規模だった、のであの災害には備えられなかったと言われています。

防波堤、の造り、とか鎮守の森とかが過去の災害の経験例から学び活かされていない、とも言われています。

「樹を植えよ」とは「宮脇昭」氏の主張です。

一本の木が二本で「林」に三本植えると「森」になる、という、シャレともともとれる主張には過去のいろいろなな教訓が含まれています。「樹を植えよ」という主張が個人的意見ではないのに無視されるか軽視されている傾向があるのが残念に思います。(一部の自治体には、災害後に氏の考え方による防波堤を造ったところがあるそうですが…)

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食事の前に唱える挨拶の言葉に「いただきます」というのが在ります。主食のお米はもちろん野菜や肉魚など食品のすべてに命が宿っていたモノとして、その命を戴いている事に感謝の念をこめた言葉だと言われています。

「いただきます」とは命を戴く事だという考え方なのです。

キリスト教の世界では食事の前の挨拶は神様への感謝の祈りだ、と言われています。

動植物に宿っている命の事を「神」に置き換えてみると「いただきます」は神様への感謝、とも言えるのかも知れません。しかし、キリスト教での神様はイエス.キリストとかの特定の偶像(1神)への感謝であって、天地自然への感謝ではないように思われます。

この世は仮の世であって永遠の命を戴くあの世とは違うという考え方によると、この世では神の使いとしての人間が一番優れた存在という事を聞いた事があります。だから自然現象などを神の使いである人がコントロールする事に何の異論もない、のです。

つまり「1神」への恐れはあっても、自然を征服(破壊、開発)する事には何の異論もないように思われるのです。敬虔なクリスチャンには自然現象には素直に従い、質素に暮らすのがいいと言う考え方、があるそうですが、そういう宗派は多くはないようです。

自然征服主義はキリスト教に支配された西洋文化が招いた大罪だとも言われています。そうした時代にあって、自然の事をお天道様、と呼ぶ事はあり得ない無い事なのかも知れません。だって何よりも唯一の神様(キリスト様)が偉いのですから…。

ロケットが宇宙へ飛び出し、人の命の誕生の元である「妊娠」にも医者の裁量が大きくかかわる時代では、科学と神の領域には相いれない関係にあるのでは、と言われています。

とは言え、有能な科学者は、いろいろな研究を極めていくと1神教ではない「神」の存在はあるのではないかと、思う事、現象がいっぱいあると言っています。

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「神」の采配ともいえる事のひとつに、人や、生き物が持つ機能に「自然治癒力」というのが在ります。どういう事かと言うと、医者が手術をする時メスという刃物で人体を切り開く事があります。その開いた後の皮膚は近年は医療用のホチキスのようなモノでつなぎ合わせるそうです。「縫合」とか呼ぶそうですが。

その縫合後の皮膚が元のようにくっつくのは人体そのものに再生力があって、自らのチカラで行っています。医療、医者が行う事は皮膚と皮膚をくっつけてやる事だけなのであって、細胞組織が元のようにつながり合う事は人体そのものが行っているのです。つまり、治るのは本人の身体がしたのであって、医療はそのお手伝いをしたに過ぎないのです。しかし医者が治したかのような錯覚をもっている現代人が多いのです。

人体に備わった再生、回復力が発揮されるまで動かないよう、固定するなどの作業が医療行為なのであって、皮膚組織などの再生回復そのものは人体そのものがやっているのです。医者が「くっ付け!」と命令しているからくっつくのではないのです。

そうした事は生体移植と呼ばれている心臓や肝臓などの移植でも同じ事なのです。車の部品交換のように、ボルトナットを緩めて締め直して終わり、修理完了にはならないのです。

「手術は成功しました」しかし、死亡しました。というのがあります。

一般には医者は出来る限りの事をした、だから仕方がないのだと思う人が多いのです。

少なくとも手術をする前、直前までは生きていたという事実はあるのです。(心肺停止した人の緊急救急手術の場合は別ですが・・・)

「医療行為」の中には慢性的病気の治療法と緊急救急外科治療法とでは考え方が違う事が多いそうです。その一つに「余命」・・・判断があると言われています。

「余命」とは文字どおり、この後どのくらい持つ、命か(息をしていられるか…)を判断する事です。

慢性的な病状の時でも医者の「余命」宣言より長く生きていたという事例はけっこうあるそうです。

しかし、緊急救急医療の場合、放っておけば間違いなく(100%)死亡する事が分かっている状態…「心肺停止」など、での判断には「余命」という考え方はないのです。

生体臓器移植にしても緊急外科治療にしても現代の医療行為で出来るだけの事をしたとしても、元気な姿に回復するかどうかは本人のもっている自然治癒力、回復力に頼るしかない、だと思います。

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そうした事を運命などと呼ぶ事もありますが、そのさい配は「神様」のチカラよるものだと考える事に「健康はお天道様のおかげ」という考え方があるのだと思います。

世界一の権力を持っていたと言われていた「秦の始皇帝」でも`不老不死`の薬は見つけられなかった、と言われています。

生物に不老不死はないのです。それでも現代の医療には「人の死」は医学の敗北のような錯覚がある、と言われています。

人死ぬ時期には早い、遅いがありますが、その時期を決めるのは「自然、天、宇宙」のチカラがなせる業なのではないかと思えるのです。

特定の自殺者を除けば自ら進んで死ぬ事を望む人はいません。

元フジテレビの有名女子アナウンサーの有賀さつきさん(52歳)の死亡などはそのいい例だと思います。お父さんが83歳とかでお元気な姿でマスコミの取材に答えていたのが印象的です。

よく「親より先に逝く親不孝」と言われますが、その格言によれば有賀さつきさんは余程の親不孝者、という事になります。

しかし本人が親不孝をしたかったワケでは無いと思います。なぜか、そうなってしまったという事なのだと思います。

なぜか?分からないからこそ「薬石効なく」という言葉があるのだとも思えます。「闘病」とか「医療」とは何なのかを考えさせられます。それが「運命」とは思いたくありませんが。

まさに`健康はお天道様のおかげ`なのだと思わされます。

生物科学者は`生命を活かすシステム(法則)についてもっと謙虚になって考えるべきだと思います。

ある医者が医者は神ではない」と宣言している言葉を目にした事があります。

「神」のチカラ、法則は存在している、という事を意識された謙虚な方の言葉だと思われます。

「時間投資思考」

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