↑二つの家屋は隣同志の建物です。左の家はトタン屋根、右の家は茅葺屋根…同じ日に撮影しました。屋根上の積雪の違いが分かるでしょうか?
上の写真は自然の原理を教えてくれています。大雪の地域での雪下ろしの事を考えさせられます。
茅葺屋根が自然でトタン(金属板)屋根は「不自然」なのでしょうか?「反自然」でしょうか?
自然と言うと山河、里山など私たちを囲む環境の事を指す事が多いと思われます。自然に任せる、という言い方もあります。そうした自然とは人間が獲得した色々な技術でも自然には敵わないという事があります。
どんなことが在るでしょうか?
地球の大気圏外で活動している宇宙ステーションなどは人間の英知の最先端、集合体の一つかも知れません。身近な自然ではどんな風に対応出来ているでしょうか?
春夏秋冬、季節の巡りなどが身近な事かも知れません。
季節の巡り、の様な自然現象に逆らうつもりのある人はそうはいないと思われます。季節に限らず雨風が変化する天気などは自然現象の最たるもの。関東の冬晴れなどと言われているような安定した長い間天気の変化が少ない季節が在ったりします。
しかし、普通は明日の天気の事を知る事もままならないのです。それでも雨が降れば傘をさすように天気に逆らうのではなく、順応します。かつて中国でオリンピックが開かれていた時に雨に降られては困るイベントの在る日には雨が降らないような自然現象を作り出そうとしていたそうです。
どのような手立てで天気を人間の都合に合わせようとしたのかは分かりません。寒くなれば火を熾す.火を焚くなどと言います。人間は熊などのように冬眠する事は出来ません。雨風が凌げるような家を建て、色々な形式のヒーター、ストーブで温まるようにしています。外に出る時はダウンジャケットやブルゾンなどを着込んで寒さをしのぎます。そう、凌いでいるのです。
明けない夜は無いとか春の来ない冬は無いなど、季節の巡りがある事を信じているからなのです。「自然が一番 逆らわない」という考え方はそのような事だと思います。
最も自然がいくらいいと言っても自然というのがどういう事なのかを承知していないと、自然に従うという意味が分からないのではないかと思います。
禅問答の様な事になりますが不自然な事と反自然とは全く違う意味なのですがあなたはそうした事を考えた事があるでしょうか?。
「禅問答」とは
●仏教の宗派に禅宗というのが在ります、その宗派の僧が悟りをひらくために 行う修行「座禅」をしている時の問答の事。
●何をいっているのかわからない難解な問答の事を例えて言う時に使う言葉。話がかみ合わない珍妙な問答の時にも使われている言葉です。
不自然と反自然……..不自然とは農業に例をとると、畑を管理するのに鍬~耕運機を使って土を耕します。このような行為は不自然な事として嫌う、不耕起という農法が在ります。土を耕すのは不自然な事という考え方です。
農法としての「不耕起」というのがいいとか悪いとかを思うのは個人の自由ですが、農耕自体は不自然ではあっても反自然ではないという事を知らないといけないと思います。
いかに「不耕起」にこだわったとしても、農地に人がタネを播き、苗を植え付ける事自体が不自然な事なのです。しかし反自然ではありません。しかるべき時期にしかるべき方法でタネや苗の植え付けをすれば生き物の仲間である植物はしっかり成長していきます。そうした自然の原理、法則、掟に従っているからこそ、農家は毎年稲や野菜などの収穫が出来るまでに育てる事が出来ているのです。
こうした事で例え不自然ではあっても反自然という自然の法則に逆らうような事は出来るだけ避けたほうがいい、という考え方が「自然が一番逆らわない」事だと思います。
近年の農業の中では施設栽培という手法が在ります。俗に言われるところのハウス物という事です。ハウス栽培とは不自然ではあるが反自然ではない、証拠にその造り、設備をみると分かる事がいっぱいあります。まず、ハウスの側壁から天井に使われている素材は人間が住んでいるハウス→住宅とは違うという事は素人目でも分かります。ビニールやガラスなどの太陽の光を出来るだけ透す,という透明な素材になっているはずです。
どんな植物でも明るい光を好むという環境に違いはありません。「大豆もやし」などは例外で光が無い環境で育てる必要があるからですが…。施設栽培の中には水耕栽培というのも在ります。都会のビルの中でも野菜作りができる、のは水耕栽培の場合は植物が好む光や肥料管理がしやすい事にあるようです。
植物が育つ環境、条件を整えてやればどんな植物でもそれなりに成長するのが自然の法則なのです。これがいい、あれがいいといわれた事をやっているのにうまく行かない事があるのは、自然の声を聴かずに人が考えた事人が言った事を無条件にやった結果がだと思います。
植物のタネが発芽して育つ条件には三つの要素があると考えられています。
● 水。
● 空気。
● 適性気温。
※ 上記には「光」が含まれていません。それは「豆もやし」「スプラウト」などがとりあえず発芽するには「光」が無くても育つ、という事実があるからです。植物が丈夫に育つにはしっかりした太陽の光に当たる方がいいのです。「光」はタネの発芽だけの事で考えると無くてもいいというだけの条件ですが、どんな場合でも無用という事ではありません。
植物が健康に育ってくれない時は、自然の法則に従わない、反自然な事をしている事が多いと言われています。どんな学者先生、ベテラン農家がいいと言っても反自然な事をしていると植物は従ってくれないのです。こうした事に「不自然」と「反自然」の考え方が在るのが分かるでしょうか?。
「自然が一番 逆らわない」という事について考えて見ました。この項目で言ってきた所の「自然」とは不自然な事をしても反自然でなければいい、という意味が分かったでしょうか?
自然農法で言われている「不耕起栽培」のような何にもしない放置.放任という意味では自然の様な気がしますが、農業の場合は何にもしない事が反自然な事なのです。
例えば、植物に不可欠な水分でも台風などで畑が水浸しになる事を好みません。
地震や台風、大津波、火山噴火降灰…などの「天変地異」も自然現象ですが逆らう事は出来ません。しかし農業は植物たちには自然現象と思える事「天変地異」は人間同様にストレスになっている事が少なくないと言われています。
「ハウス、施設栽培」で植物がうまく育っているのは光、水、温度、気温など植物にストレスのを与えない環境づくりをしているからなのです。
植物の環境ストレスも人間と同じようなストレスと考えられています。見えない現象ですが、見えなくても人間同様に、在る、という事です。
「昼間の星は見えないけれど在るのです。見えない事であっても在るのです」と仏教で言われている通りだと思います。